ひとりになりたい!

長い休みの後には必ずこう思う主婦。

けれどお母さんのことや妻が何を思っているかなんて

夫や子どもはあんまり深くは考えていないでしょうね。

例えば「お母さんは僕といると寂しくないだろう」とか

「奥さんは俺と一緒にいることが大好きだろう」とか、

安易に考えているに違いないのですが、、、それは違いますね。

 

家族4人で外出し義母が一人留守番をして待っていた時、

2歳の娘がこう心配しました。

「おばあちゃん、さびしんでるかな~」

「うーん。そうだねぇ。」と答えましたが、

実際はホッとしているかもしれないとも思いました。

好きなことができる、と。

好きなものがつまめる、と。

おさんどんは全部わたしがしていたので、しゃもじ争いはないけれども

「好きなものを好きな時に食べる」自由って結構うれしいもんですから。

お母さんってね、子どもがいる時にはそれができないんです。

教育に悪いと感じるから。普段子どもに禁止しているハンバーガーやのポテトとか、食べたい時あるでしょう?

子どもといる時のお母さんは、ちょっと立派なお母さん演じているモノ。

だから、疲れるんだよ~。

ちょっとばかり人生の先輩だからって、気をはって装って生きていると

やっぱり、疲れるんだよ。

ドロドロした本音のお母さんみたら、多分傷つく。だから猫をかぶって生息している。

例えば、夫婦生活を子どもには見られてはいけないとシュタイナーも言っているけれども

そういうメスの部分を見せたらいけないんだ、と頑張っていると

疲れるし、鋼鉄の仮面みたいなものができてくる。

だから、やっぱりお母さんも「ON」「OFF」つくらないと持たないと思います。

お母さんを「OFF」する時間

家族と別々の時間をつくる。

家族と別々の空間をつくる。

これを意識的にやることが大切ですね。

友達との旅行、観劇、コンサートの追っかけ、習い事、美容院、エステ、買い物・・・

家族と別々の時間をつくるというけれども、人によって長さはマチマチです。

「家族の顔を見たい」

ってワクワクできたら、ちょうどいい感じです。

 

ひとりになる空間づくりは、週末の別荘・・・なんて最高ですが、

外に仕事場ある場合は、それを「母親をOFFする」空間として利用します。

今すぐ簡単にできることもあります。

キッチンに椅子と机を持ち込む、トイレに本を持ち込む、階段の下でも、

窓の脇で60センチ角の空間をつくれば一人の空間がつくれます。

お母さんのエーテル体の中で暮らしている赤ちゃんがいれば、

赤ちゃんとママが快適な空間をつくればいいのです。

空間と行っても4面を囲う必要はありません。

家族とふれあう窓は開けておいても、「読書中」などの板をぶら下げて

緊急でないときは声を掛けないルールをつくるんです。

「家族といると疲れるから」とわざわざ言わなくていいですよ。

ただ、自分の場所をつくる理由は伝えた方がいいです。

いちいち「何してるの?」と聞かれないためです。

「仕事する」

「趣味をする」

「内職する」

家族が応援したくなるような理由を伝えるのが自分時間を充実させるコツです。

例えば読書が好きだったり、モノを書くのが好きだったりする場合、

ネット上にはライターの仕事もたくさん出回っているので「内職」が当たります。

趣味のアイシングクッキーとかつくれば、家族は喜びますよね。

そういう一人タイムもいいと思います。

スピリチュアルな時間の取り方

また、最近はスピリチュアルが普通になりつつありますが、

自分には普通でも家族には「トンデモ」と捉えられ理解されないケースがあります。

家族開運のためなのに。とおもっても宗教的な活動には身構えるようになっています。

家族に隠して瞑想したり、お布施をしたり、修行をしたりという

「隠れ信者」をする場合もあるかもしれません。

本人にとっては信じるものに親和性を感じていて、

家族よりも近いものに感じているので時折「家族も捨てる」というような

突飛な行動に走ることさえありますから、家族はなんとなく危機感を持ってしまうのです。

 

「目に見えない大いなる存在と一緒になりたい」

という思いは人間ならあるものです。だって、

人間は肉体だけじゃなく「エーテル体」「アストラル体」「コーザル体」など

たくさんの目に見えない「体」をもっていますから。

そしてそれぞれ特徴があり、色を持っていて、

自分の同じ色とつながりたい欲求を持っています。

家族とは同じ色である場合もありますが、違うケースももちろんありますから

家族以外に同じ色を見つけたら一緒になりたがるのです。

ただ、いろいろな色と交わりたいと思って家族を持ったのですから、

家族を捨てるのが「違う色だから」という理由は成り立ちません。

同じ色と交わりたい。けど家族とも交わりたい。

昔の人はそんな希望を日常で実現していました。

八百万の神々と家で一緒に暮らしていたのです。

”信じる”以前の体に染みついた習慣

だから「信仰する」とか「信者になる」というスタイルにはとても違和感を覚えるのです。

信じる信じないということではなく、当たり前にアルもの。

女性は体にお宮を持っています。

子宮という「お宮」。そんな風に当たり前にアルものとして

スピリチュアルをとらえられるのです。

ただ、今は手を合わせる習慣も、神棚も家にはないということが多くなっています。

ココロが欲求している「目に見えないエネルギーと一緒になりたい」

という願望を、家族に隠さずにできる事。

それが、日本中どこにでもある神社参りなんですよね。

初詣に神社へ行く人は多いと思います。

日常的であるばかりでなく、神社には日本人のルーツとつながる

仕掛けがあるんです。

神社なら家族と行けますよ。

家族と長く過ごすお休みのお疲れ具合は、家族といい関係を築い居ているかどうかの

バロメータになるのかもしれませんね。