超古代の日本が世界を統治していたとして、その片鱗が残っていたのはいわゆる「天孫」の時代あたりまでかもしれません。その後ホヲデミーウガヤフキアワセズのあたりで、竜宮城や竹取物語のなかに語られる時代に入ります。小さいころから童話として聞く話の中に真実があるなんて、日本人の伝承を残す智恵はなんてすばらしい!

今回の神社浴は、日本がまだ世界に影響力の片りんを残していた時代から日本だけの統治に収まっていくあたりの神社を巡ります。

春日大社

ご祭神 武甕槌命 (常陸国鹿島の神)経津主命(下総国香取の神)天児屋根命(河内国平岡に埋葬)比売神( 天児屋根命の妻で武甕槌命の娘)

アスカの地で最も古い由緒を探してみると、やはりアマノコヤネのご先祖様に至ります。その父ヰヂチは霊能力も優れていたようでタマガエシなる秘儀を開発した労により「ココトムスビ」「カスガ殿」と称え名を与えらえました。カスガ殿が老齢により管轄地である大和の地を辞し、そのあと地域の守りとしてヒタカミで養育されていた、オシホミミの第一子ホノアカリがヤマトに赴任してきたのです。ホノアカリが十種神寶を拝受して「宮」を設けたのがアスカ宮です。

アスカ宮の左右の臣が、フトタマとカゴヤマでした。アスカ宮の弟であるニニキネは八州巡りを行っているので、ニニキネの右の大臣であるクシヒコ(ヲコヌシノカミ・ヤマトヲヲコノミタマカミ)が大和の地に隠居したのはずいぶん後です。

フトタマの孫であるナガスネヒコがもともと大和にいたといっても、フトタマの時代にヒタカミからホノアカリの大臣としてやってきたのですから、最も古いのはカスガの家系ということになります。ただ、「臣」である身分を良くわきまえてお働きを為した神々です。

その春日大社は8世紀に元春日と言われる枚岡神社から移転しているそうです。天神社があり、そこに祀られているのはツハヤムスビというアマノコヤネの曽祖父に当たる方です。現在の春日大社のある地域がカスガキミの代々の地とみていいような気がします。枚岡の地にはアマノコヤネが埋葬されているということです。

カスガ殿は息子、アマノコヤネがいたにもかかわらず彼を家の祭祀継ぎにはしなかったのですね。それよりはアマキミに仕えさせて国に尽くす気持ちが強かったのでしょうか。おかげでアマノコヤネは大きくその能力を開花させて、鹿島・香取・春日・イキスの4つの道を引き継ぐことになりました。

船山神社(奈良県生駒郡平群町)

ご祭神 船山神、天津兒屋根命

最初にホノアカリが「そらみつやまとくに」と降り立ったのが船山神社。もしくは磐船神社。ニギハヤヒは人気のある神様で石切剱や神社に鎮座しています。ナガスネヒコの拠点は鳥見白庭山とされます。

ただ、ホノアカリ(天火明命)のアスカ宮はどこにあったんでしょう。なぜか、遠く離れた宮津や愛知県でその名がご祭神に見られるのですが、なぜ飛鳥の地には残っていないのでしょうか。

と思っていねちっこく探したらこれでは?という神社に巡り合いました。竹田神社です。ご祭神は天香久山命となっていて天の香久山を築山したホノアカリその方だろうと思われます。

竹田神社

ご祭神 天香久山命

やっと見つけたホノアカリの足跡。ホツマツタヱで見るホノアカリは、あまりいいところがありません。でも天の香久山を作ったのです。なぜ、その名をつけたのか?日本一の富士山を模したからというのが一番説得力があるようにも思えます。ホノアカリには子ができませんでした。それで大臣であるカゴヤマの息子タクラマロ(タカクラシタ)を養子にしたのです。でもお妃がそれを許しませんでした。気に入らぬといって追い出してしまったのです。それを知ったホノアカリはお妃を離縁してまでも呼びもどそうとします。よほどタカクラシタのことを気に入っていたはずです。だからこそ彼を呼びもどすために、作った山の名をカゴヤマのルーツである富士山の名をとったのではないかと思うのです。

やがてホノアカリは亡くなります。「しらにわむらに みはかなす」としてアスカ宮を継ぐよう任命されたニニキネの孫でもあるニギハヤヒが喪に服した記述があります。

竹田神社は天香久山の北5キロのところに鎮座しています。

天香山神社

ご祭神 櫛真知神

古代にも川を作ったり、山を作ったりということはあちこちでされていたようです。
「ツガルでは沼を掘りあげて田水を生み、凍った山の水が流れて7万の里が潤った」
「カスガのくにもコヤネがが川を掘り御蓋山を作った」
「イブキはアメヤマに田を成した」
「アスカ宮も富士山をマネて香久山をつくり、川を成して周囲に田を成した」
など、ニニキネの八州巡りの後インフラを整える活動が大いに実り国力が高まった様子が描かれています。

中でも、ホノアカリ・アスカ宮がつくった天の香久山は特別でした。天香久山を築山したホノアカリは伊豆の岬から大和まで空を飛行してやってきたとホツマツタヱに記述があります。ご祭神の櫛真智命(くしまちのみこと)は、大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのあまるかみのやしろ)ととっても関係が深いようです。「おおまとのつ」とは「大きく丸い平地にある船着き場」という意味があるといいます。ということは、ホノアカリは「あめのいわふね」の船着き場として天の香久山を作ったのかもしれません。大和三山のうちでただ一つ「天」の字を入っているのには案外深い意味があるのかも。参考

しかし、ほどなくホノアカリは亡くなってしまいます。そして時代は世界統治時代を終えて日本統治時代へと突入し、世界をアメのウキフネで巡行した時代は終焉を迎えるのです。

石上神宮

ご祭神 布都御魂大神

境内社 出雲建雄神社 ご祭神 草薙剣の荒魂

 

石上神社は名古屋ではお世話になっていますので本宮お参りします。境内社には草薙の剱の荒魂が鎮座委するという。こちらもご縁が深いのです。 モノノヘの祖として祀られる当社ですが、神武天皇以前は大物主という役職があるだけでした。大物主の権限を分けたものがモノノヘと言えるんでしょう。おおもとの大物主が当地に居ついたのは石上神宮が祀られる1世代前からです。

夜都伎神社→八剣神社

ご祭神 武甕槌命、姫大神、経津主命、天児屋根命

八剣神社

ご祭神 八釼神
由緒 平成祭礼cdの由緒
神代のむかし素盞男命が八岐の大蛇を退治されたとき、大蛇が身を変え天へ昇りて水雷神となって神剣に扈従して布留川上日の谷に天降り臨幸して鎮坐す。 貞観年中に八剣神としまつられた、もと村社で五穀豊穰神霊退散招神の守護神として尊れている。

神社内の説明板
神代のむかし素盞男尊八岐大蛇を退治したまいき 大蛇は身を変え 天に昇り神剱となって布留川の上流八箇岩に天降りしを水雷神とがめ貞観年間にこの地に氏神として斎られた。 もと村社で五穀豊穣 邪霊退散 招福の守護神として尊信されている。当社は山辺郡所属の式内小社夜都伎[ヤツキ]神社の論社である。 他の論社に天理市竹之内町の十二神社、天理市乙木町の夜都伎神社がある。 神奈備より引用

うわ~。だからわかんないんだよね~本当のご祭神は。ミヤヅヒメが祀る八釼社はやはり・・・。

穴師坐兵主神社

ご祭神 大兵主神  兵主神  若御魂神

ツワモノヌシの神の名も「消えた神」の一柱です。古事記・日本書紀に記載がなく正体不明の神とされているのですが、ホツマツタヱにはたびたび登場する神です。例えば天の岩戸におコモリの時にしめ縄を掛けたのはツワモノヌシですし、全国的な騒乱の際にはタマガエシなどの術を行ったことが記述されています。また、シラヒトコクミ事件を告発したのもツワモノヌシです。

神社にも名がある。ホツマツタヱにも登場する。けれども古事記・日本書紀に記載が一切ない神はたくさんいます。セオリツヒメ・ワカヒメの名はなくイブキドヌシに至ってはヤマトタケルを死に追いやった荒神として登場しています。いったいどんな理由で存在を消されているのでしょう。気になります。

ツワモノヌシの場合、このアスカの地に多く見られ「穴師」なる名が付いていることも多いです。ツワモノヌシはイサナミの兄弟で、宮津のあたりを治める副知事のような役割を務めていました。当時の騒乱をおさめる役割を務め、専門は「穴師」の元締めのような立場だったのかもしれません。神武東征の闘いの時には土蜘蛛やしっぽの生えた人長い手足の人という異形の敵が現れますが、そうした人たちと共に朝廷側の敵となったのかもしれません。

 

というわけで、さて、どれだけ回れるかな。

五感を研ぎ澄ます神社浴のやり方がわかります↓

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