プロフィール

神社浴ナビゲーターの建築士 久田貴子のプロフィール

1級建築士/地相鑑定士/言霊師/ホームアテンダント
神社浴ナビゲーターを務めています。

ついでに、着物の着付け免許ももっています。

家族が得する神社まいりのブログをはじめたわけ

人が育つ場である家庭と家族にとって、日本には外国では手に入れられない特別な資産があります。しかもそれは10000年のルーツをたどれる「モノ」。

それが、神社です。

2012年、NPOを法人化しましたが「人が霊性そのままに自由と安心をえて暮らすこと」を広めたかったからでした。

大家族育ちのわたしが、核家族に行き詰まり困ったときに助けになったのは、子どもの通っていたシュタイナー保育園でつくった母子コミュニティ(マリアの会)でした。

もともと「霊性教育」とか「芸術教育」と言われるシュタイナー教育の実践園でしたから、子どもは生まれ持っている霊性そのままに育てられることを理想にしていました。

ところが現実の社会はそうなっていないんです。

社会的しくみの中で子育てをしようとしたときに、大変な矛盾が起きてしまいます。それを子どもが公立小学校に上がった時にまざまざと味わうことになりました。

保育園を卒園したあと、

2004年ごろから仕事で地域の家を10,000軒ぐらい見て回り、300件ほどのご家族と直接お話する機会を得たのですが、その時に「家族があやうい!」という感覚を肌で感じていました。何とかならないものかな、と2008年ごろからネットを通じて知り合ったメンバーと「家族温暖化会議」を立ち上げ、女性力や母性力をUPすることを話し合いました。そして、2010年県の男女共同参画事業の委員として家族の研究を進めてレポートにまとめました。

2012年2月にNPOを立ち上げたきっかけは、子育て時代に経験した保育園の母子勉強会コミュニティ(マリアの会)をする場所や子育てそのものをシェアしあうことが核家族ストレスを解決できると思ったためです。

家族が自由と安心を得るしくみが「シェアリングライフ」であり、
そういう日本の家族の軸を神社が教えてくれる。

そのことを伝えたくてブログに書いています。

建築士になったきっかけ

わたしは、9歳のときに見た「家」のビジョンを実現したいと建築士になりました。
(詳しくは下のリンクからどうぞ)

大好きな大好きな仕事なのでしたが、ある時人生の分岐点に立たされました。

同じ会社の人との婚約を終えたある日のこと。

いつも仕事でお世話になっているK氏から連絡が入りました。

「神戸で大きな仕事をすることになった。手伝ってくれないか!?」

神戸・・・

神戸は憧れの土地でした。

海と山のある街への憧れが強かったんです。

けれども、

けれども、もうすでに着々と進んでいる結婚を延期にはできませんでした。

父母から心配されずに独立することは悲願でしたから。

あとで気づくことになるのですが、それが大きな大きな転換点でした。

そのときわたしは仕事ではなく、家族をつくることを最優先したのでした。

幸せなフリーランスの時がすぎて・・・

そして、幸せなフリーランスの時がすぎて核家族の子育てをはじめ、壁にぶつかります。

「あんたは、ほんと、自分の思い通りにするね」

と母からお墨付きのわがままなわたしです。そのわたしが、初めて思い通りにならないものと出会ったのです。それは「こども」。

だから、苦手なんですけどね。

でも、わがままなわたしが、それでも愛情を注いで育ててくれた親に返せるものと言ったら、「自分も子育てする」ことしか思いつかなかったから。

生真面目に子育てに取り組むと、煮詰まるんですわ~。

とにかく早く子育てを終えて仕事に復帰しようともくろんでいたから、余計にストレスかかったんです。親子ともに。泣

そんな時にシュタイナーの教育に出会い、なによりもシュタイナー教育を実践する保育園に出会て、どんだけ恵まれてるんだ、わたし。

特に園長先生との出会いがわたしの一番の宝物になりました。園長先生がいたから、この保育園に入れたし、園長先生がいたからマリアの会もやれたし、大きな大きなオファーもくださいました。その大きなオファーを完了させることが、このブログのミッションです。

 家族が運命の荒波にのまれる~~~あああああああ

保育園を卒園して、一人で暮らす義母の家に入りました。

なんとまあ、わたし37歳の厄年。夫42歳の厄年の真っ最中に。

ここから、子どものアトピーやわたしの喘息がはじまり、夫は大病を患い、母は亡くなり・・・その数年後に義母も亡くなり。

35歳、7年周期の5回目を終える時、もっとも地上に近く社会的責任を負う年齢に差し掛かります。わたしの場合、最高の出会いがあったのですが、その後虎の尾を踏んでしまったのか、大変な経験がはじまったんです。

この時期を乗り越えられたのは、仏教の八正道のおかげです。わたしは、中学生の時から日記を書いているのですが、それはちょっと特殊なノートです。

「もう一人の自分との対話ノート」なんです。

そのころから八正道に照らして対話したノートに書かれた文章は、ある意味天上からのメッセージノートのようなものでした。書くと悩みの回答が得られるノートだったのです。

30冊以上のノートには、運命の荒波を乗り越える知恵がいっぱい詰まっています。

タラレバ言っても始まらない!

経済的にも大変でした。

生きていると「あの日に帰りたい」と思う瞬間が何度かでてきます。あまりにも「こんなはずじゃなかった」というような時に。

わたしの場合は婚約時代のあの神戸オファーがそうでした。建築家として成功する大きな道だった。。。けれどもタラレバ言っても始まらない。前向きにとらえるしか無いんだよね。

「管理建築士として夫の事務所に属してそれを全うする。」

他の選択肢をきっぱり捨てました。この時、結婚結婚前のあの選択をあらためて強く確認したのでした。私がすべきことは、建物の前のもっと根本的な部分に意識を向ける事。「家族として経験したいろいろなこと」「家族」がわたしのミッションだったのだと、あらためて思いました。10000件の家を調査して思ったこと。家は建築士がつくるんじゃない。「家は家族がつくる」んだということ。

2008年ごろから

イロイロあったこのあたり。家族の荒波が終息して「ああ、これで一段落。この家族、卒業した~~~~!」と思いました。笑

長年求めた「自由」が本格的に形になり始めたころです。マンションオーナーになり、セカンドスペースを利用しながら、このころから家族が自立を始めていきました。

わたしはミッションを追求すべく、いろんな団体に属しながら2012年にNPOを設立することになっていきます。

世の中は、家族が崩壊する様相を見せ、孤立化、家族難民化していく中、スピリチュアルブーム、宇宙人ブームが到来していました。

わたし自身、現実的に生きているなかで、わたしに時折現れるビジョンや、耳で周波数を受け取ることができることを意識し始めました。スピリチュアル系の本の内容は、だいたい感覚として理解してしまうのですが、日本の古文書であるホツマツタヱと出会って、モノの始まりにはじめて触れる思いがしました。それはとても新鮮で、同時に古い古いモノでした。

そうしてホツマツタヱを杖に神社巡りを始めることになったのです。

神社や神様のことならいっぱい話せる!神社おたく誕生です。

わたしの家づくり


ミニマルとは自分的必要最小限のこと。「これだけは譲れない」
それはわたしにとっては子どもを育てる家づくり。

日本ミニマルなお家へ帰ろう
和ミニマルを充たす12のしつらい
ミニマムな家族づくりからミニマルへ

和ミニマル家レシピ イソノミヤ化の第一歩

ミニマルな自分は何をする人なのかがわかる5つの質問
縄文テイストが現代のミニマルライフのベースになる
「死ぬまで何が起きても生きていく」ミニマリストの知恵

子どもを育てる風景とミニマリストの生活

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