わたしが”いそのみや”をつくる理由

それを見たのは9歳の時でした。
回廊がある家のビジョンが突然少女の頭にひらめいたのです。

それはぜひ実現したいと思えるほど、少女の心をとらえて離しませんでした。
少女は広告の裏に懐かしいその家の間取りを描いて描いて描いて・・・

核家族にシュタイナー

ビジョンに導かれるようにやがて建築士になりました。
けれども、回廊がある家という形だけでは図面は描けません。
それは誰が使い、どんな暮らし方をされる建物なのか。

シュタイナー教育実践園に子どもが通い始めたころのことです。
当時核家族で子育てに行き詰っていた私にシュタイナーは新しい世界を見せてくれました。
にじみ絵、キンダーハープ、羊毛の糸つむぎ・・・
それはおとぎの国のような不思議な世界。

芸術が子どもの体や感情、心を育てていくように、私の病んだ心を癒していきました。
ママたちがあつまってシュタイナーをやる会が自然とできました。
「ママたちが仕事をしたり勉強するまわりを自由に遊ぶ赤ちゃん」
マリアの会は創造の場所でした。これが「回廊のある家」にいる人々の原風景になりました。

シュタイナーは面白くて、私は”言葉”の考察にひかれていました。
天体とアルファベットの関係、
音階と天体の関係、
色と天体の関係、
人の臓器と天体の関係などそれはそれは興味深いものでした。

日本の神宝ー日本語

それから20年もたってから私はホツマツタヱに出会いました。
そこには日本語の成り立ちが記されており、文字を札にして書かれたことも記述されています。
ことばは単なる音ではありませんでした。物事を現実に表すために使われていました。
つまり、言葉は「創造」そのものだったのです。

日本のことばのことを五十(いそ)と表現されることを知ったのはそれからすぐのことでした。
「あいうえお」×「あたかまはらなやさわ」で50です。

五十の宮(いそのみや)。
それは日本に残されている創造の秘密だったのです。

回廊のある家のビジョンをみた9歳から
シュタイナー保育園でのマリアの会へ、
その道が”いそのみや”にスッと通じて開いていきました。

ゐごころ まもれ

ホツマツタヱに天照大御神の遺言ともいえる「キミトミノコシノリノアヤ」があります。
セオリツヒメとワカヒメに対して次のようなノコシノリが記されています。

またきさき ひろたにゆきて
わかひめと ともにゐこころ
まもるへし われはとよけと
をせをもる ゐせのみちなり

伊勢の道がここに語られています。

この神宝をきちんと活用することが、日本に生まれ育ったものの責任だと思っています。

 

いそのみやへの想いに、日本人としての誇りが甦ります。
いそのみやの片りんをひろいに神社にいこう

 

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