★神社は地下ストレスを中和するアースパンクチャー
家の地下にある活断層や水脈からの周波数がストレスになっているかもしれません
善知鳥神社(青森市)
うとうじんじゃと読みます。
先日の縄文ツアーで一緒だった友人心の専門家コーチTammyさんが青森駅で参拝されたので、私も同行したつもりで一緒に深めさせていただこうと思います。
一の鳥居から参道へ。
二の鳥居の向こうに拝殿が見えてます。
由緒
善知鳥神社は現在の青森市が昔、善知鳥村 と言われた頃、奥州陸奥之国外ヶ浜鎮護の神と して 第十九代允恭天皇の御世に日本の國 の總主祭神である天照坐皇大御神の御子の 三女神を善知鳥中納言安方が此の北国の 夷人山海の悪鬼を誅罰平定して此の地を治め、 その神願霊現あらたかな神々を祭った事に由 来している。又、善知鳥中納言安方は此の地の 人々に初めて漁猟と耕作を教へ此の辺一帯が 今日のように発展したのは安方の聰明なる知恵 と才能と勇氣が、神々の御意に叶い人々に慕い 仰がれる所以となったと言われている。爾来此の 善知鳥神社は青森の発祥の地として長い間 連綿として敬神崇祖の信仰が受け継がれている
祭神 多紀理毘賣命
市寸嶋比賣命
多岐都比賣命
合祀 天照大御神和魂 倉稲魂命(稲荷様) 海津美神(龍神様
「うとう」の名の由来について、HPによると善知鳥村があったからというものがあったり、云われはたくさんあるようですね。善知鳥村については、神社があったからついた名だと思いますし、他の説もホツマツタヱの記述ではひっくり返るお話が出てきます。
ホツマツタヱ28あや
たなこひめ いふきとみやに
うむみこの ゑはいよつひこ
とさつひこ うさつひこはこれ
をんともに ゆきてつくしの
うさにすむ ははもうさにて
かみとなる いつくしまみや
いとうかみ よきをしるなそ
以上はイチキシマヒメのお話です。善きを知る名として「いとう神」と贈られます。
善知鳥(うとう)の名の由縁だと思われます。
おろちなる はちにみつから
さすらひて いとうをしれは
おおなむち ひひめおめとる
このしまつ みつひめまつる
そとかはま いとう
三女神の母ハヤコは出雲のヤマタノオロチ。
その恥を雪ごうとハヤコの三女は自らサスラの身となりました。
オオナムチは長女タケコ(奥津島姫)を娶りました。
津軽守になってから子のシマツウシがあとを継ぎ、母と姉妹の三女を「外ヶ浜」に祀りました。
これが善知鳥神社の始まりですね。当時は縄文海進のさ中で、海の上だったのかもしれません。
やすかた
かみのみけ はむうとうあり
こかしらの おろちかはめは
しまつうし ははきりふれは
にけいたり こしのほらあな
ほりぬけて しなのにてれは
これおつく いせのとかくし
はせかえり なんちはおそる
これいかん
九頭竜(うとう)が答えるには、はじめはモチコ・ハヤコ姉妹のフタオロチでした。モチコは長男を出産しながらも、内宮に入ったセオリツ姫に出し抜かれその子オシホミミが嗣子となり嫉妬に焼かれセオリツ姫を噛もうと。ハヤコの罪は、夫アマテルカミを無き者とし密通相手の弟ソサノヲに天下を取らせようと画策した咎により冷や飯を食らう立場に追いやられた。ソサノヲへの執心が強く嫁候補が出るたびに8人まで噛み殺していった。
ときにそさのを
これをきり みをやすかたと
まつるゆえ またやますみの
めとうまれ いもとおねたむ
つみのとり
そうしてソサノヲのヤマタノオロチ退治と相成ったのです。
ハヤコの身を「やすかた」として祀ったのでまた生まれ変わることができました。それがニニキネの時代のイワナガヒメです。そして罪は連鎖するものでしょうか。またもや妹コノハナサクヤ姫を妬んで奸計を巡らせるのです。
つまり、「うとうやすかた」とはハヤコのことをさしているのです。
8人の娘を食み殺したのでヤマタノオロチと言われたのかもしれません。
善知鳥神社では、ハヤコは九頭竜として現れています。さらにパワーアップした?
ちなみに九頭竜は龍神の中では最も格式の高い龍だそうです。もともとは天皇の妻だったのですから、かなりすごいのでしょう。
とはいえ九頭竜は、シマツウシに追われて新潟方面に逃げ、ついには信濃にたどり着きます。そこに伊勢から急ぎかえったタチカラヲに「恐れ」を見破られたモチコ・ハヤコの顛末が明らかになったのでした。
善知鳥神社の境内社にもそれらしきお社はなさそうですし、そのような伝説も残っていないようですが、ホツマツタヱの物語は神社の名にももぐりこんでいました。
三女神を祀ることは、おそらく娘を頼って善知鳥にやってきた母ハヤコの罪を祓うことでもあるのでしょう。
ところで、先日参拝した十和田神社も九頭竜を祀っています。
それはまたもや南祖坊に生まれ変わったハヤコかも?
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。