阿豆良神社(愛知県一宮市)393番目。
兆しはいつからだったかな。
21日、たしかにくしゃみはよく出たけれど、鼻炎だとおもってて。
23日から三日間、ご飯もつくらず食べず仕事の手が空いたら眠りつづけるという睡魔が襲ってきて。もちろん熱っぽさや節々の痛みなどもありつつ。4日目の今朝も11時頃まで、いくらでも眠むれちょっとは「抜けた」感あり。
「知恵熱」って言葉があるけれど、熱が出るときって子どもだけじゃなく身体や魂が変わるときなんだなって改めて思いました。
春分の日ってのは、何かが起こる。
春分の日に意識的に行動もしたけれども、この三日間の眠りは絶対的に変わる何か(地球のすべてに関して)を受け止めていたんだろうと感じています。体内の水がわかり、細胞が変わる。
熱が出るときにはできるだけ薬で楽にしてしまわず、体の変化を感じて見たいと思います。動き回りたい人間を眠らせることが目的で発熱し体が痛んだりするんだな~って思います。
最近、なかなか熱も出ないからね
で、神社めぐりの続きです。
阿豆良神社は、久多神社や尾張大国霊神社からみれば鬼門に位置しています。
式内社の中でもちょっと変わったご祭神だということで参拝しました。
尾張の神社の多くにこのような蕃塀があります。
由緒には、愛知県では真清田神社の次に古いお社であることが書かれています。
時の皇后の夢枕にご祭神が立たれたとあります。
垂仁天皇の皇子ホンツワケは生まれおち唖で7歳になっても言葉が出ないことに関して、
「わたしは出雲のアマノミカツ姫と申す神であるが、今まで誰も祀ってくれないが祠をを建てて神に祀るなら皇子の唖はたちどころに治り、天寿を全うして長生が出来よう」
垂仁天皇はこれを受けて祠の場所を占わせ、吾鬘郷に創建されたのが垂仁朝57年とあります。
おかしいな。
皇子の年齢は7歳。皇子の生誕は母であるサホヒメが亡くなった少し前とすると、垂仁5年10月より前になりますから、夢知らせがあったのが垂仁12年ぐらいだったはずです。社伝による垂仁57年創建としたら、時が経ち過ぎています。
いや、そうではなく母がサホヒメではなかったということも考えられますけれど。
この社伝のもとはどうやら『尾張国風土記』にあるようです。
というのも古事記では異なる逸話が語られているからです。
Wikiより
~あるとき皇子は天を往く鵠を見て何かを言おうとしたので、天皇はそれを見て鵠を捕らえるように命じた。鵠は紀伊・播磨・因幡・丹波・但馬・近江・美濃・尾張・信濃・越を飛んだ末に捕らえられた。しかし皇子は鵠を得てもまだ物言わなかった。ある晩、天皇の夢に何者かが現れて「我が宮を天皇の宮のごとく造り直したなら、皇子はしゃべれるようになるだろう」と述べた。そこで天皇は太占で夢に現れたのが何者であるか占わせると、言語(物言わぬ)は出雲大神の祟りとわかった。天皇は皇子を曙立王・菟上王とともに出雲(現:島根県東部)に遣わし、大神を拝させると皇子はしゃべれるようになったという。~
古事記には「天皇の夢に現れた出雲の神」であり阿豆良神社の社伝では「皇后の夢に現れた出雲のアマノミカツ姫」となっているんです。
祭神 天甕津媛命(あめのみかつひめのみこと)
アマノミカツヒメが登場するのは『尾張国風土記』のほか『出雲国風土記』があります。
ホツマツタヱによると、シタタミに落ちたソサノヲが天(あめ)に復帰したのは、イブキドヌシと共に闘い功労があったからです。ソサノヲはヒカワ神を賜り、ヤヱガキノハタも受け出雲を守りました。
ここからは『出雲風土記』です。まだ小国であったころ新羅から八束水臣津野命(意美豆努命)が4部族を率いて上陸し大国にしたという。その八束水臣津野命の妻が天瓱津比女(あめのみけつひめ)というらしい。
別の個所では天御梶日女(あめのみかじひめ)命という阿遅須枳高日子(あちすきたかひこね)命の后がいるといい、アマノミカツヒメはその人という説もあります。
もうひとつ別の説では天津甕星(あまつみかぼし)の奥さんというものもあります。
うーん。
アマノミカツヒメという存在は夢の中に登場しただけの神。。。
創建年代が伝説のお話と食い違っている。
ホツマツタヱによれば、出雲を大国にしたのはオオナムチノミコトであり八束水臣津野命ではない。
天皇家を祟った出雲の神って新羅系???
なぞ。
ホツマツタヱで消息を探ってみても、
天津甕星=アマセオといわれるアマセオの妻の名はわからないし、ミカの入ったミカシヤヒメは、ニギハヤヒの妻。。。
あれ。あれれ、ひょとしてここかもしれない。
ミカシヤヒメ⇒ミカツヒメ
ミカシヤヒメは出雲の神なのかな。
兄はナガスネヒコ、祖父にフトタマがいて辿ればタカミムスビの系統。そして物部氏の祖ウマシマチの母でもある。ただ、父親・母親がわからない。
神武東征が成功し大和朝廷が立った時、オオモノヌシの権限のなかの軍事についてウマシマチが継ぐことになりました。オオモノヌシと言えば出雲の神です。なぜ、ニギヤハヒとミカシヤヒメの子ウマシマチにオオモノヌシの一部権限が移ったか。
オオモノヌシは初代オオナムチ―クシヒコ(ニニキネ)―コモリ(ニニキネ・ホオデミ・ウガヤ)―ツミハ(ホオテミ・アスカ宮)―フキネ(ウガヤ)―クシミカタマ(ウガヤ・タガ宮)―アタツクシネ(綏靖)
二朝並立時代があったので物主も二人いたのです。が世襲制のため、ツミハのように兼任するようなこともあったのかな?
クシミカタマの後物部という役職が出来、それをウマシマチが賜ったのは父ニギハヤヒが受け継いだアスカ宮の十種神宝を神武にささげたから。朝廷側のオオモノヌシであったコモリさんを祖父に持つウマシマチと、朝廷側で活躍していた当時のオオモノヌシであるクシミカタマは従弟関係です。十種神宝を朝廷にささげさせたのはクシミカタマだったのではないかな。交換条件として物部に就き、剣の臣として神宝を取り返せばいい。と。
物部氏が祀る奈良の石上神宮(いそのかみじんぐう)の配神に布留御魂大神 (ふるのみたま)が坐します。それこそが十種神宝であるといわれています。
クシミカタマにもミカが付いてますね。
ミカシヤヒメ=ミカツヒメ説はともかくとして、出雲国風土記についても謎が多すぎる気はします。
境内社に行きます。
天照皇大神宮社
熱田皇大神宮社
394番目。
八幡社
稲荷社
395番目。
熊野社
金毘羅社
396番目。
天神社
白山社
397番目。
秋葉社
一宮社
398番目。
二宮社
津島社
399番目。
国府宮社
神宮司社
400番目。
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