ホツマツタヱに登場する神様について書いています。
今日は踏んぎりのつかないあなたのためのお話です。
「判断力が人生を左右します。」
ってよく言われますよね。
家庭でだって決断力がないと、その”舟”は漂流してしまいます。
判断を先送りしていると、どんどん下流へと押し流されてしまうんです。
ある時知らない間に海に出て、木の葉のような舟で漂っている・・・
というのはちょっと悲しい光景です。
大切なのは「決める」ということ。
自分でその道を選ぶということなんです。
その結果が白か黒かは、じつは誰にも判断できないことです。
『私の夫は仕事がデキない』ってドラマがやっていまして。デキない夫ができない理由は、
効率主義の会社の方針と、
できない夫がつい行動してしまう自分の価値観に正直な行動が、
ズレてしまうからなんですね。
ちょっとピントがずれたデキない男と烙印を押された夫だって
他の社員と同じように「良かれと思って」行動しているのですが、
成果の上がる時間にずれがあるんです。
長い目で見たらどっちが正しいか、がわかるには「俯瞰」が必要です。
鳥の目、神の目が必要なんですよね。だからその場ではなかなかわからない。
「流される」と決めた自分に従うならそれはOK。
「頑張ってオールをこいでどんどん攻める」と決めたならそれもOK。
「決める」ことが、生産手段を自分の手に握る第一歩だからです。
「決める」ことは、本物の自由への貴重な第一歩だからです。
なので、自分で判断し、決めるために
背中を押してくれる神社をご紹介します。
奢って道を間違える父を何度も諫めたクシヒコ、大国魂神を祀る神社です。
目次
- 1 オオクニヌシノミコト オオクニタマノカミ(大国主命 大国魂神)を祀る神社
- 1.0.1 大和神社(おおやまとじんじゃ) 住所 奈良県天理市新泉町星山306 ご祭神 日本大国魂大神、八千戈大神、御年大神
- 1.0.2 大和國一之宮 大神神社(おおみわじんじゃ) 住所 奈良県桜井市三輪1422 ご祭神 大物主大神
- 1.0.3 大濱熊野大神社境内社 大国主命社 住所 愛知県碧南市宮町5丁目46 ご祭神 大己貴神(おほなむち)大物主神(おおものぬしのかみ)大国主神(おおくにぬしのかみ)大國魂神(おほくにたま)顕国玉神(うつしくにたま)志固男神(しこをのかみ)八千矛神(やちほのこかみ)
- 1.0.4 大神神社 住所 愛知県一宮市花池2丁目15−28 ご祭神 大物主命
- 1.0.5 三河一宮砥鹿神社二宮 三河ゑびす社 住所 愛知県豊川市一宮町西垣内2 ご祭神 事代主命
- 1.0.6 武蔵國総社 大國魂神社 住所 東京都府中市宮町3-1 ご祭神 大國魂大神
- 1.0.7 尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ) 住所 愛知県稲沢市国府宮1-1-1 ご祭神 尾張大国霊神
- 2 オオクニヌシノミコト(大国主命)
オオクニヌシノミコト オオクニタマノカミ(大国主命 大国魂神)を祀る神社
大和神社(おおやまとじんじゃ)
住所 奈良県天理市新泉町星山306
ご祭神 日本大国魂大神、八千戈大神、御年大神
大和國一之宮 大神神社(おおみわじんじゃ)
住所 奈良県桜井市三輪1422
ご祭神 大物主大神
大濱熊野大神社境内社 大国主命社
住所 愛知県碧南市宮町5丁目46
ご祭神 大己貴神(おほなむち)大物主神(おおものぬしのかみ)大国主神(おおくにぬしのかみ)大國魂神(おほくにたま)顕国玉神(うつしくにたま)志固男神(しこをのかみ)八千矛神(やちほのこかみ)
大神神社
住所 愛知県一宮市花池2丁目15−28
ご祭神 大物主命
三河一宮砥鹿神社二宮 三河ゑびす社
住所 愛知県豊川市一宮町西垣内2
ご祭神 事代主命
武蔵國総社 大國魂神社
住所 東京都府中市宮町3-1
ご祭神 大國魂大神
尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)
住所 愛知県稲沢市国府宮1-1-1
ご祭神 尾張大国霊神
オオクニヌシノミコト(大国主命)
ソサノヲが出雲の守となったとき、妻のイナダヒメのお腹に宿ったのがオオナムチです。初代大物主に就いたオオナムチは宮仕えがあまり好きではなく、諸国を巡って直接民とむつみ合うことを楽しみとしたました。息子のクシヒコは、父親の事代主(代理)として若き日から宮に仕え、その知恵者ぶりを発揮していました。父オオナムチは豊かに国を経営する天才で、出雲の地で栄耀栄華を誇っていました。その出雲の鼻高ぶりに「謀反の恐れ」を占い、タカマからその真偽を質す事11年。タカマを介懐柔しはぐらかそうとしたオオナムチに対して諫めたのはクシヒコでした。末の弟であるタケミナカタが父の味方をしたものの、諏訪にて白旗を上げることとなりました。それで、父は津軽の地へと国替えとなったのです。
クシヒコはその後、天孫ホノアカリの右の大臣となるのですが、宮を建てて1年で宮移しを敢行するホノアカリに諫言して、お役御免となります。間違っていると判断したことに関してはたとえクビになっても譲りませんでした。後に弟の天孫ニニキネの臣に取り立てられ活躍します。
ニニキネの宮の建築奉行として「みやづくり則」をつくったのはクシヒコです。その時に大国主の名を賜ったのでした。その心持ちは国づくりの祖ともいえる働きといたく評価されて、大国主だけでは足りぬ、とヤマトオオクニタマの名を賜りました。
今では父オオナムチと混同されています。全く性格の違う二神ですが、人々に愛されたというところに関しては共通した美点です。オオナムチは人々の暮らし向きが良くなるよう農耕のことを教え、病を祓うことをして諸国を巡りました。官僚ではあったのでしょうが、宮仕えは性に合わなかったのでしょうね。
その点、大国主のクシヒコは官僚の鏡です。父よりも早く三輪山に神上がりしました。大和神社は完了を辞してから隠居したお社ということです。
クシヒコは2代目大物主です。四国の金刀比羅宮のご祭神は代々大物主です。
そして、ツキヨミの宮は金刀比羅宮となる以前のイブキ宮と言われています。
ご縁が深いのです。
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