久多神社(愛知県稲沢市)392番目。
この地は天背男命を祖とする一族が居住したと伝えられる。中島直(本家)、海部直(分家)の尾張族と言われる。
中島直の子孫は久田氏と称し大国霊神社の神官を務めた。
暦応2年(1339)一族の争いが生じ久多神社は廃絶したという。
天保13年(1842)同族の野々部茂富(大国霊神社の神官)が現地に復旧。
現在の久多神社付近には、かつて東畑廃寺があつたとされる。
祭神 天背男命 茜部天神
名古屋市南区の星宮社の記事にこう書きました。
ホツマツタヱ20あやは、アマテルカミの孫ホノアカリがトクサタカラを賜り、アスカ宮の守になるくだりが書かれています。
ホノアカリの周囲を騎乗で護衛する32人の中に、「アマセオ」という人物が登場します。
アマセオはカンミムスビ(6代タカミムスビ、ヤソキネ)のヤサコ(玄孫)とあります。タカミムスビを継いで居たら10代という世代です。
そのアマセオは日本書紀にのみ登場し、朝廷にまつろわぬ悪神とされています。が、
物事には多面性があり、善悪の判断に関してはちょっと置いて考えます。
あすか宮に就いたのは、オシホミミの長男ホノアカリでした。ホノアカリはヒタカミ(東北)にいたオシホミミのそばで成長しました。弟のニニキネの方は伊勢のアマテルカミのもとで育ちました。ヤマトあすか宮の根っこはヒタカミにあったのですね。
そしていよいよホノアカリがあすか宮へ移るときには、ヒタカミの出身であるカミムスビ・ヤソキネの子孫であるアマセオも付いて行ったのです。
カミムスビ・ヤソキネの別の名は「白山神」です。イサナキの姉シラヤマヒメの夫であり、白山地域を夫婦で治めていました。ですから、アマセオは北陸出身の可能性もあります。
あすか宮の御霊を祀る丹後―越後―伊吹―美濃―尾張という一つのルートがありますが、アマセオがそのルート開拓に深く関係しているのかもしれません。
久多神社の社伝を見る限りアマセオの子孫は、あすか宮廃絶の後海部の人々との関係を深め尾張の地にやってきたという流れが見て取れます。
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