穏田神社(渋谷区)347番目。
明治神宮の南参道を抜けて約800m強のその場所を目指して歩きました。
スマホがありがたいのは知らない場所を歩く時ですね。マップにナビってもらいます。
けれどもねー。都心のど真ん中のあんな場所で、しっかり公共の道路なはずのマップに表示された道は、ビルとビルの間の50㎝ほどのすき間だったりするわけです。
「え?」「これ?」「人んちじゃないの?」などといいつつ、マップで表示してる公共道路を歩いているんです。
「ここ抜けたら、あるはず」
「このとなりに、あるはず」
しかし、見つからない。
教えてくれたのは例によってカラス。おそらくさっき明治神宮で絡んできたカラスだろう。
物理学や量子力学を専攻してきた考古学者であるイギリスのカリバン博士は霊観も強く、カラスは次元を超越して移動できる存在なんだと言っています。カラスが啼くのは「返事」であったり「答えを教えて」いるのだそうです。それは私自身体験的に身に覚えのあることです。
カラスの死骸を見ることがないのは異次元に消えるからですって。
それまでいなかったカラスがカーカーやかましく啼き「ああ、あそこだ」と。
穏田神社は見つけにくかったわー。
・・・もっともレアな道案内だったか?ナビリンは。
それで、参拝をしている間中、頭の真上でかーかーやっている。なんだ?なんなんだ?
真上で啼いていることもこれまではあんまりない。けど、上をみるともういない。
祭神 淤母陀琉神(おもだるみのかみ)
阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
櫛御食野神(くしみけぬのかみ)
6代アマカミとその奥さん。櫛御食野神は熊野大神のようです。
由緒
旧穏田一円の産土神で、天正十九年伊賀衆が穏田の地を家康より賜り給地となる。以後この辺開け江戸時代は第六天社と称し明治維新の際に穏田神社と改称す。ご祭神は美容、技芸上達、縁結びの神として尊崇される。
クマノカミはカラス使いの名人です。その意味ではクマノカミがよこした御使いでしょうか。
第六天社とは、仏教で言う三界のうち欲界の最高位が第六天でありその支配者である魔王を祀る社ということです。仏教界にとって延暦寺など寺社を焼き打ちした信長は魔王に思えたことでしょう。けれども昔から日本人には悪霊を祀ったりできる質をもっています。いわゆる荒神さまをお祀りする民族なんです。物事にはそういう面も必要だと言う事を知っているというか。
信長を魔王とする見方があれば、もっとも人気を博している英雄の一人という見方もあるのです。
その両面を超えた土俵で行動することができる面があるんですね。
伊賀衆は信長に攻め滅ぼされ、多くは徳川に付きこの場を安堵されたわけですから、信長を祀ると言うよりはむしろ、戦国時代の動乱を鎮めてそれをも栄養にして地が固まり、そこここに木が生え食物が繁茂することを願いオモタル・カシコネをお祀りしたのではないでしょうか。
近年では信長の戦いは全国統一をして一刻も早く戦いのない世をつくろうとした戦いだったのだと言われてもいます。
稲荷社。348番目
稲荷社の前には拝殿方向を向いて引き締まった表情をするこの方。
一見して意志強固な性格がわかり、知性を感じられる。女医さんか?
河野カタ女史は漢方医薬の大家にて敬神の念厚く特に当穏田神社には日参数年その間戦災に依る境内の荒廃に心寄せられ拝殿、神楽殿、稲荷社、渡橋等ご奉納の篤志に対し氏子総代相はかり胸像を建立永遠に女史の志を彰するものである
昭和40年(1965)6月吉日
穏田神社氏子総代
やはり。
そして、この狛犬さん。
普段は関心寄せずスルーしてしまうのですが、その形態と下にいる小さい生き物は、なに?
なんだろう?
爬虫類系のなにかに見えてしまったのですけど、踏みつけているのではなく、明らかに狛犬さんを背負ってますよね?
というわけで参拝を終えて鳥居を出たところで発見しかーちゃんカメラに収めました。
ご案内ご苦労様でした。ありがとね。
さて、次は鳩森神社です。
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