大湯環状列石(秋田県鹿角市)619

神社大湯環状列石(秋田県)619番目

 

いわゆるストーンサークルがここにはあります。

紀元前2000年ごろの遺跡です。

駐車場から東に向かって歩く間、様々な植物が目と舌を楽しませてくれます。

 

これは外来種ではなく日本クルミだそうです。

オレンジ色の木苺やちいさな赤い実を口に入れると、クエン酸を体が欲していたことに気づきます。

 

向こうに見える掘立小屋の集まるところがストーンサークルだそうです。

このあと「みはらしの丘」というちょっとこんもりした場所に移動するのですが、講師が後でいうにはものすごいパワーを感じたのだとか。

残念ながら、一番高いところには足を踏み入れていなくて体感できず残念!

写真すら撮ってないという、、、

 

ちょっと東に行くとこのような5本柱と周囲の柱が。

ここもパワフルだったそうですが、残念。

 

いよいよストーンサークルのほうへ向かいます。

 

南北に二つの大きな輪が、ここから東に7キロの安久谷川の石英で組まれています。

北の輪は野中堂環状列石です。

輪から下に向かって作られた道のような筋の先は、万座環状列石へと続きます。

直径44メートル。

 

野中環状列石の様子

展示室にある中心部です。

 

 

直径52メートル。

周囲の列石は集合墓だということでした。

 

万座環状列石の様子

 

さてここでは何をしていたのでしょうね。

祭りの場でもあったというお話を講師からききました。

周囲が集合墓ということは、ご先祖様(遠津御祖神)。

真ん中には時空を意味するかのような時計がありその周りを男女が踊り廻ったと。

その中心に立つ柱に何が降り立ったのでしょうか。。。

そこにはゼロポイント(空、ホール)が発生したと思われます。

 

何に使われるのか、数を示すこんな土版が展示されていました。

 

 

 

アマテルカミの嗣子であるオシホミミは7代タカミムスビの娘タクハタチチヒメを娶りました。体が弱かったために義父の7代タカミムスビが国政を執っていました。そのために近江からケタツボに遷都したのです。仙台周辺には海岸沿いなどに紀元前4000年ほどに栄えた掘立の建造物跡が見つかっています。当地に東の都が置かれたはじめは5代タカミムスビのトヨケ神の時です。アマテルカミの祖父であり、オシホミミにとっては曾祖父です。

もしも、オオナムチがカルキミとして三内丸山あたりを治めていたとしても当時の有力者の寿命の長さからかんがみても年代が合致しているように思います。

 

時代が下って12代景行天皇の御代にヤマトタケが東征するのですが、5つある国造のうち、オオナムチの子孫であるツガルミチヒコとタカミムスビの子孫であるミチノクの二人だけが最後まで物言いをつけます。結局はオオトモタケヒの説得でまつろうことになります。連綿と代々国造を引きついで運営していることがわかります。ですから、大湯環状列石の時代ここらは津軽で、オオナムチの子孫が祀りごとを受け継いでいたはずです。

 

 

ちなみに、茅の輪くぐりの始めはソサノヲが厄祓いのために子に与えた茅の輪が元らしいですね。おなじみですが、夏越しの大祓に茅の輪を八の字にくぐることが今でも残っています。

ここ大湯でもご先祖様を祀る墓石で作られた二つのサークルを八の字に巡って、ご先祖様の魂を鎮め吹き送るということがなされたのかもしれません。祓いとゼロポイントを創出していたというのはあり得ます。石と石の間を巡ることによって天と大地と神となったご先祖様と一体となる。そんなことを想像しました。

 

 

 

 

 

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