真宮(愛知県岡崎市)
通りすがりの神社です。珍しい名前に興味がそそられます。
真宮と書く神社は初めてです。
調べると、なんと縄文時代の住居跡などの遺跡がすぐ近くにあります。
「真宮町」という町名は、ここ真宮から来ているのでしょうね。
真宮神社、熊野神社、市杵島社 三社合祀記念とあります。
真宮とは新宮の書き換えなのでしょうか?
熊野神社のご祭神はイサナミであることが多いのですが、
和歌山の新宮市にある熊野新宮大社にはイサナキ・イサナミの仲人さん方も祀られています。真宮→新宮だとするとここに合祀されている熊野神社のご祭神はスサノオだと予測できます。
こちらの由緒もかなり見にくく飛ばし飛ばしに読んでみます。
真宮神社 熊野神社 市杵島社合祀 664番目
祭神 伊弉諾神(いざさぎのかみ)
伊弉冉神(いざなみのかみ)
創建 「人皇13代成務天皇の御代に紀伊国から我が額田郡に移し」とあります。
通常だと「勧請し」となるはずですが。さらに「人皇38代檜隈天皇」という耳慣れない御名が見えます。38代天皇といえば天智天皇であり、「檜隈」で調べても桧隈大内陵、ひのくまのおおうちのみささぎとして登場し、天武天皇の墓なのですよね。。。
天神社。665番目
稲荷大明神。666番目
秋葉神社。667番目
由緒にある6人の皇子を祀る社というのが六名の意味のようです。
由緒によると六名のいわれは、「38代檜隈天皇の皇女小石姫の命紀伊国及び三河国を領し給い御座所を当影山に定め給い」その皇子が「石桐王、足取王、麻苔王、大〇王、伊美加王、山代王なり 皇子産ませ給う毎に帯に石を以て真宮に安産を祈らせ給うに六柱とも安産し給いしかは喜び六石を祭らせ給う この産神一を平田石二を黒門石三を夏木石四を草集石五を龍童石六を小女石と云う 即ち平田石は石桐王の産神石黒門石は足取王の産神石夏木石は麻苔王の産神石草集石は大〇王の産神石龍童石は伊美加王の産神石小女石は山代王の産神石故にこの地を六石師と称す」
檜隈天皇とは天武天皇のことなのだろうか。
その皇女小石姫とはだれなのか?
当地は額田郡です。額田王の出身地については諸説あるようですが、当地がその候補地になるとしたら、小石姫とあるのは、額田王の娘十市皇女ではないのか・・・?
十市皇女が嫁いだ弘文天皇(大友皇子)は、壬申の乱で天武側に敗北し自害しています。
天武天皇が愛した女の娘十市皇女をここに隠した?
そう考えると葛野王は当地の六柱の中の誰かということになりますが、弘文天皇のほかの皇子に関しては情報が見つけられません。一人だけイシヒメ王という名が見られます。「石神」として皇子らの名が残る当地となんとなくつながる名前です。
自害した天皇の子らです。
ここで血統が絶やされても不思議はありません。なぜ葛野王の血統だけが生き延びているかについての説明は寡聞にして私にはできませんが。
境内に白いハトを発見。
縁起がいいかも。
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