災害時の避難用ピロティ・・・というには狭い。通路ですね。でもありがたい。
八角形の列柱がイイですね。
ここまで近代化された神社はあまり見ません。
といっても伝統の形を崩しているのではありませんが。
随身はガラスケースの中。
祭神 天御中主大神
安徳天皇・高倉平中宮(建礼門院、平徳子)・二位の尼(平時子)
本社は久留米の水天宮で、高倉平中宮に仕えた局伊勢が、壇ノ浦で生き延びて安徳天皇と平家一門を祀る祠を建てたのが創建だとされています。
当社は久留米藩江戸上屋敷に、9代藩主有馬頼徳により1818年に勧請された創建とのことです。一般参拝許可の投書も多く集められ一般に開放されたのですね。
安産・子授けの神として当時より人気を博したのでした。
それにしてもなぜ”水天宮”?
生き延びた伊勢は剃髪し「千代」と名乗ったそうな。忍び暮らす千代を平家びいきの村人は守ったという。奇しくも千代は奈良の石上神社の娘で、祭祀のことを覚えていたために亡くなった一門を筑後川のほとりに祀り過ごした。親切な村人への恩返しにと何くれとなく相談に乗り祈りしたらしい。そうして千代は尼御前と呼ばれ尊敬を集めるようになる。千代亡き後村人は尼御前社として立て直し、水難・魔除けの神として信仰を集めたそうな。
水難にもめげず生き延びた伊勢にも石神の神様のご加護があったに違いありません。
寳生辨財天(市杵島姫神社) 575番目
祭神 市杵島姫
能楽の競技があったのですね。弁財天への祈願がかなった記念のお社です。
品川の有馬下屋敷に祀られていましたものを合祀です。
水天宮の正面です。
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