烏森神社(港区)259番目。
烏森烏森の由来を要約すると、古くこのあたりが江戸湾の砂浜で、一帯は松林であった。そのため『枯州の森』あるいは『空州の森』と言われていた。この松林には、烏が多く集まって巣をかけていたため、後には『烏の森』とも呼ばれるようになった。
それが烏森という名の起こりである。烏は熊野の神使として有名なように、神鳥。烏森神社にちなんで、明治以降昭和七年までは町名として使われていたが、その後現地名の新橋に改められた。今では国鉄新橋駅の烏森口としてその名をとどめている。ということです。
三重県津市の香良洲神社の創建は6世紀中ごろであり、海に面した洲にあります。
烏森の名がついたことは三重県のお香良洲さんと関係がぷんぷん匂ってきます。
先日お参りした柳森神社と森仲間に称される神社。
現在の界隈は新橋駅前とはいえ路地裏であり、朝のまだ、町が目覚めぬ時間でも猫がじゃれあって遊んでいるという感じです。
エアコン室外機の上を飛び回っていました。
烏森神社への参道は西から、南から、東からあります。こちらは虎ノ門金比羅宮から歩いてきた西の参道から入っています。
茶屋のような椅子がならべてあるここに社務所があるようですが、開いてません。
変わった形の鳥居をくぐると由緒書きの下に水が流れています。ひしゃくは無いのですが、ここが手水舎になっているようですね。
ここも将門ご縁の神社で、藤原側が討伐祈願をここで立てました。
つまり、将門を祀る神田神社関係者から見たら仇になります。
そういうご縁のある仇の社寺に、一年以内にお参りするのはよくないとか関係者は行くべきでない言われることがあります。
今に残る歴史は勝者が塗り変えた物語です。
将門公が罪人として首を晒されたとしても、本当の正義がどこにあったのかなんて当事者は無論のこと、後世に生きて史実を丹念に調べ上げた学者でさえ事の正邪を簡単には判断できるものではないと思うのです。
おそらくあっちにもこっちにも一分の理はあったに違いないのです。
だからこそ遺族霊や子孫は、言い分を背負っていつまでも怨みを引きずってしまう事があるのかもしれません。
氏子や関係者の気持を慮れば、仇の社寺にお参りすることは控えたほうが角が立たないという事なのかもしれません。
ただ、怨霊にまでなって祟った本人はどうなのかな。
荒ぶる心を抑えられずに、敵対者に鎮魂され、時々の権力者に祀られるようになって何百年も経っているその魂がもしまだ怨み辛み、あるいは反対の優等意識などという粗い感情のままでいるとは、到底思えないんですよね。感情は細やかになり、心はもっと透明感があるような気がするのです。
まがりなりにも、将門公が祀られた神社はお江戸に限らず沢山の人を集めているのですから、敵とか仇とかそういう人間心で測れるような感情に、いまだに振り回されているとは思えません。
神社仏閣というのは人間の様々な感情や欲望の掃き溜めみたいな部分もありますから、あんまり気合いをこめて神頼みするとむしろ執着で重くなり、邪なものと同通しまったりします。
個人的な願いを叶えるために神社に行く時は、仇の社寺どころかあんまりいろいろな神社で神頼みするのではなく、1カ所の神さまと仲良くした方がいいです。
ただ道を歩いているだけでも蛇や動物を拾ってしまう事もあるくらいです。
だから、気分がよくない時、感情の起伏が激しい時などは人の欲望が集まりやすい場所は避けるのが無難です。
という訳で烏森神社に戻ります。
この神社にはアイデアマンがいるようで、女子にも人気があるようです。
例えば五色のご朱印。
4色の心願おみくじ。
やり方まで書いてあります。
そう言えば、神社の祈願ってただ、家内安全とか交通安全とか商売繁盛とかの表題だけは決めるけれども、祈願書を書くわけじゃないですよね。だから、思いを込めたい時は手ごたえが無いって言うか。ま、願いが重すぎると叶う確率は低くなるので、軽い感じでするそこが狙いだったりもするのだけれど。こうやってペンで自分の意志表示ができるのはいいですよね。
絵馬の代わりかな。
烏森神社(港区)
祭神 倉稲魂命 天鈿女命 瓊々杵尊
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