月読神社(蒲郡市)699~702

月読神社(蒲郡市)

月読神社(蒲郡市)699番目

祭神 月夜見命 姥子命 建速須佐之男命 保食神

由緒 社伝に、明和元年(一七六四)三月の創建という。もと清田字岡前に鎮座のところ洪水で社殿平田町に流れ着いたが、清田に戻られた。明治五年十月、村社に列す。大正二年五月十八日、平田鎮座の姥子神社(現在の社地)に合併合祀し、同年十月七日、姥子神社を月読神社と改称する。同五年十月十八日、指定社となった。同十三年十月、社殿を改修した。(出展:蒲郡五十七社巡り

右 秋葉神社。700番目。
祭神 火之迦具土大神
左 天王社。701番目。
祭神 建速須佐之男命

行者堂。 702番目。

役行者さんはデザインされた像です。なんというか、エジプトの像を思い出しました。
アルカイックスマイルが素敵です。

神社には児童公園が併設されていることが多いのですが、
こんな形のブランコ、初めて見ました。

”月読神社”に参拝は初めてではないでしょうか。
全国的に数も少ないのです。
文献によっていろいろな見解があり神秘のベールに包まれた神様ですね。

ここは、やはりホツマツタヱの記述から抜き読みしてみます。

イサナキ・イサナミの二神は、まず筑波の宮でヒルコヒメ(後のワカヒメ)を生んでから、八州をめぐり国を言葉によって一つにまとめていきます。その後苦労してオオヒヤマ(富士山)でアマテルカミを生み、次に筑紫で生まれたのがツキヨミ(幼名モチキネ)でした。

ツキヨミはある事件よりアマテルカミに嫌われ伊予に封ぜられます。
子のイブキドヌシは妻にイチキシマヒメを娶り、後に祓戸大神として封ぜられてしまいます。その事件とは。

二代アマカミのクニサツチの子ウケモチの8代孫のカダは、ご先祖様が手に入れたヒヨウルタネを受け継いでいました。木の実などを食していた時代に、ウケモチがより良い作物をつくりアメナカヌシをお祀りするようになったのでした。そのよい種が底を尽いてきたのでアマテルカミが弟のツキヨミをカダの元に送ったのでした。

カダはツキヨミをもてなします。けれども滋養満点の肥溜めの肥を運んだその桶にたくさんのスズナ汁を入れてのもてなし。ところが、ツキヨミは無礼と怒りカダを打ち殺してしまったのでした。その報告を聞いたアマテルカミ。「なんちさかなし あいみす」顔も見たくないと隠れてしまったのでした。

そんなことがありツキヨミは四国に封ぜられることになったのでした。

 

 

 

 

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