入海神社(愛知県東浦町)345番目。
先日UPした本刈谷神社には貝塚や人骨、土器などが見つかっていますが、境川の対岸である入海神社にも貝塚が出土しています。入海の方は約7000年前のもので縄文早期後半ということで、こちらの方が少し古い貝塚のようです。
東浦の台地。
貝塚の、その場所に入海神社はあります。
階段を上って行く途中にある夜泣き石。
この石は古城のうらにうたう怪異つたわりとるものなし。神に奉り水器となす。
階段を登りきると二の鳥居。
なんとも自由な感じで木が育っていて、鳥居は半分ぐらいの間口に感じます。
祭神 弟橘比売命
ホツマツタヱ39あや
ときやまとたけ
おおいそお かつさへわたす
いくさふね たたよふかせお
しつめんと おとたちはなは
へにのほり あめつちいのり
わかきみの いつをやまとに
たてんとす われきみのため
たつとなり ふねまもらんと
うみにいる もろおとろきて
もとむれと ついにゑされは
なみなきて みふねつきけり
東征について行ったのはオトタチバナ姫だったんです。
ヤマトタケには6人ぐらいのキサキの名が残っています。
その中で、なぜオトタチバナ姫だったんでしょうか。
由緒
昔日本武尊御東征の折り穂積忍山宿禰は水軍を編成し、娘弟橘比売命は御妃として従軍し途中荒天に遭い全軍の安泰を祈り娘弟橘比売命は海に入られた
御櫛が当里の紅葉川に流れ着きこれを御祀りした これが入海神社宝亀年間の起源と伝えられている
ホツマツタヱによるとそもそもアマカミにたくさんのキサキが必要だとして制度化したのは、アマテルカミの時からです。継子が途絶えてしまう事を防ぐためです。
東西南北に、スケ、ウチメ、オシモメという三つの局を設け合計で12人のお妃を決めたのでした。「スケ」などは妃としての位なんでしょうね。そして12人の妃をまとめ上げるのが、アマテルカミの時代のセオリツヒメが担った「内宮」という役割でした。ヤマトタケの妃は、フタジイリ姫(アフミ国造の娘)が内宮、アナトタケ姫(吉備武彦娘)はウチメ、オトタチバナ姫(オシヤマスクネの娘)はスケ。そしてミヤズ姫(尾張連の娘)。
一番多くの子を産んだオトタチバナ姫は、他の妃よりも多くの時間をヤマトタケと過ごしたという事でしょうし、一番愛された妻だったのかもしれません。
国家を安ずる男の戦場にまで付いて行くほど献身的に尽くした女性であったことは間違いありません。「いつをやまとに たてんとす」オトタチバナ姫は国を守った女神さまです。
社殿の左側の右から行きます。
子安社。
祭神 豊玉姫命
トヨタマ姫とは、九州のハデツミの娘で、ホオデミの妻です。
天皇に就くホオデミを追いかけて行く途中、カメ船が遭難しながらも「みつち」に援けられて静生還し皇子を生み落としました。「みつち」というのは竜などのことを言うようです。父親のハデツミも「八大龍神」という名で祀られたりします。海神族であり、トヨタマ姫もサメだと言う説もあるようです。
オトタチバナの「われきみのため たつとなり」という前述のホツマツタエの一説にもあるように、オトタチバナ姫とトヨタマ姫は同じ竜神族なのかも・・・。
天神社。
祭神 菅原道真
津島神社。
祭神 健速須佐之男命
北山神社。
祭神 大山祇命
南山神社。
祭神 大山祇命
次に社殿の右側の左から。
八幡社。
祭神 応神天皇 神功皇后 玉依比売命
龍神社。
祭神 白龍神
宗像(弁天)社。
祭神 田心姫神 湍津姫神 市杵島姫神
招魂社。護国神社と改称されているところが多いようです。
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