伊富岐神社(岐阜県不破郡)515番目。
伊吹山の東の麓、関ヶ原古戦場にほど近い場所。
のどかな平地です。
沼のような池の向こうにあり、厳島神社ではないかと思われます。516番目。
イチキシマヒメはイブキドヌシの奥さんです。
この橋を渡るとき、美しいトンボが現れ一行は夢中に。
ケータイを向けて撮ろうと試みましたがうまくいかずUPできないのが残念!
止まっているとき朱色の羽根が蝶々のように閉じてました。美しいトンボでした。
クロアゲハも飛んでました。
背後にご神木がそそり立ちます。左手の石燈篭は見たこともないくらい大きいものでした。
左に見えるのが「伊富岐神社の大杉」という岐阜県指定天然記念物です。樹齢は300年程だとか。
祭神 多多美彦命
主祭神は諸説あり、「伊吹の神」「八岐大蛇説」「天火明命」「草葺不合尊」などが挙がるらしいのです。多々美比古命は『近江国風土記』逸文では伊吹山の神とのこと。
境内社は塀の中で入ることができないな、と諦めました。がひょっとして入れたのかな。
一御子・天香語山命、二御子・天村雲命、三御子・天忍人命、
四御子・天戸目命、五御子・建斗米命、六御子・建田背命、
七御子・建諸隅命、八御子・倭得玉彦命、九御子・若都保命
海部氏、尾張氏につづく祖神9柱まで祀られているということです。
伊吹山の西側に伊夫岐神社があります。
そこのご祭神は伊富岐大神、素盞嗚尊、多多美比古命となっています。
多多美彦命と伊富岐大神は別人ということでしょうか。風土記との食い違いがあります。
こちらでは、素盞嗚尊と共にあります。
伊吹神社は他にもあって、長浜のご祭神は「山田大蛇」。
意布伎神社として久美浜町では「氣吹戸主神」垂仁天皇の御代、丹波道主命の勧請により創建。境内社に寒川神社があるとのこと。
このどこかにホツマツタヱにあるソサノヲが更生しイブキドヌシとの面会した場所があるはずなのです。
ホツマツタヱ9あや
さほこのみやの あさひかみ
おかみていたる いつもちの
みちにたたすむ したたみや
中略
おもいおもえは はたれとは
おこるこころの われからと
ややしるいまの そさのをか
くやみのなんた
中略
あいゑることは のちのまめ
いさおしなれは はれやらん
われおたすけて ひとみちに
ますひとうたは まめなりと
うちつれやどる さたのみや
これを読むと、イブキドヌシ敦賀守征伐への行路が見えてきます。
イブキドヌシは高野山に社を建ててハケノモ退治をした功で「高野守」になります。
その後、根のマスヒト征伐に向かうのですが、その前にトヨケ神が祀られる比沼麻奈為神社に参り、出雲路でソサノヲに待ち伏せされます。和解した二人は「サタノミヤ」に宿をとっているとの記述です。
「サタノミヤ」とは、サタの長であるアシナツチ(イナタヒメの父)が管轄する宮なのかもしれません。
本宮は島根県なのでそことは考えにくい。アシナツチの兄であるアカツチ(中筒男命)の娘ハヤスウヒメは、ソサノヲの初恋の人で最初に大蛇に殺されました。イブキドヌシと面会したこの時はソサノヲが大蛇をやっつけた後で、アカツチとは和解していたことでしょう。
そのアカツチが中筒男だとすると、「サタノミヤ」は久美浜の意布伎神社である可能性が見えてきます。というのも、意布伎神社の境内社には中筒男らを祀る住吉神社もソサノヲを祀る寒川神社もあるからです。
イブキドヌシとソサノヲは「サタノミヤ」のある久美浜の港から海路敦賀に向かったのかも知れません。この功績によりイブキドヌシは「イブキ守」を賜るのです。
いずれにしても、意布伎神社の主祭神は氣吹戸主神であり祓戸大神に列せられる方です。
イブキドヌシが祭神として御名が残る数少ない神社なんですね。
六ハタレ討ちの際には大活躍した神様なのに祓戸に封印されているのには、やはりイブキノカミのツララが原因となったヤマトタケの死が大きく影響しているのでしょうね。
大気や風、雨などを自在に操ることができ、相当強い武人でもあったイブキドヌシが一旦荒御魂を見せるならば、恐れられて当然かもしれません。
当社は祭神は多多美彦命となっています。
境内社に天香語山命を祖として9世孫若都保命まで祀られています。ということは鏡・金属製錬の技を持つ若都保命の末裔、伊福部(いほきべ)氏が祖神を祀る説に一票!
ってところでしょうか。鏡を扱う伊福部氏が定着したのが水源の豊富な伊吹山の麓であるためにイブキノカミに敬意を表して夷服(いぶき)の岳の神を祀った、、、と。
多々良と多多美を掛けたので「氣吹戸主神」とはしなかったのかも。
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